紅一点




朝議――――

「また突飛な事を、―――――――前代未聞なれば天意に反しかねません」
「前代未聞。――――何度聞いたか。それでは何もできない、手足を縛られているようだ」
「例え、縛られようとも倒れるよりよほどいい」
「ならこのままでいいか」
景の女王は普段、少年のごとき貌だ、――― 男装の上に目を引く紅髪は無造作に高い位置に結い上げられただけ。あまりに簡素な王にあるまじき様に、何度も周りの臣が咎めたが、女王は一向に聞き入れようとはしなかった。 ようよう緊迫した空気が朝議の場を張る。官の挑発的な反論を前にして、場数を踏まない陽子は堅く目を瞑り思案しているようだ。

「前例がないから却下されるのか、ならばその前例とやらに従っていれば国は成り立つか。今動かなければ、大きな刺激を与えなければ何もかわらない。毎年同じ事を繰り返すだけだ。そしてすぐに朝は終わってしまう。そうなりたくないのなら今、堪え忍べ」
「恐れながら、主上は未だ、把握できておられない」
「―――これだから女王は、」
声は嫌に響き、―――陽子が視線を上げ形良い眉を歪め、言う。
「わたしは王だが、不甲斐ない王だ。不安もあるだろう、だが、できるだけ勅令はつかいたくない。私を信じてくれないか」
したが、朝議の場から、今日も賛同の声はなく、――変わりといっては空しいが、見返りは、ため息と嘲笑のみだった。



陽子は憂いの貌で牀榻に寝転ぶ。
最近の朝議でのことが胸を塞ぐ。頭から離れず、眠れぬ夜を過ごしていた。とにかく陰険に絡んでくる臣たちを恐れてはならないと、必死に反論をするが、すべてが空回る。
道を迷走していた陽子は、ある日師に達王の政治について教わった。賢君として名高い彼は数々の快挙を成したと伝えられる。それから、よく達王の夢をみるようになった。―――陽子は、それが水愚刀の見せる幻だとわかっていたが、あえて受け入れる。
毎晩のように達王の時世へ遡る。水愚刀に認められた、王。陽子と同じ、武を尊ぶ、だが少し冷たい貌の男だった。王たる威厳を持ち、何枚にも重ねられた衣は煌びやかで。その双眸には恐ろしいほど深淵、空色の瞳はあの隣国の王に似た精悍さがあった。
彼がどんな風に国を成していったのか、それを手本にしたいと、心底思った。

私に彼のようなことができるのか――――いや、しなくてはならないか。
だがどうしても彼と己とは違うのだと、陽子は痛いほど感じる。彼が朝議で官に言を耳打ちすれば、それだけですべての人間が納得し、其れが最も善良な采配となる。それほどの信頼を陽子は勝ち得ない、そうして彼のような厳めしさも持ち合わせない。 十日目の幻の中で、ようやく陽子は気づく。それでは達王は何を手本にして王となったのかと、―――水愚刀はその答えを見せた。
手本など無いのだと、陽子は知った。

王とは、誰かになってはいけないもの。―――“彼”になってはいけない。
己にしか思い付かない初勅があると同様に、陽子に彼の思惑が解るはずはない。―――手本を頼ろうとする愚かな己だとしても、今自分に天意が降ったのだ。

陽子は衝動的に瞼を開き、眼を覚ます。牀榻から起きあがり、宝刀を腰に差して髪をまとめ上げた。 愚かで無知で無力で、―――だがそれではいけない。たしかに、己自身を信じていない者に信頼し、側仕えるものなの麒麟以外にはいないだろう――だが、それではいけない。

「おそれるな。私が現景王だ」




朝議の場は唖然とした顔の官吏で埋め尽くされていた。
陽子が市井や里に降る時に着る、粗末な身なりで、景王がやってきたから。―――官達は明らかに嫌な顔をした。しかし、陽子は此の格好こそが、己の姿と思い疑わない。王を疎んでいるのではなく、すべての鎧を外し、立ち向かう思惟を示したかった。この身一つで「王」たることを認めさせたいと、そう思った。

―――私は私だ。

「――ですから、あまりに無謀な政策を立てるのはやめていただきたいと申しております」
茶髪の男が昨日の朝議の続きとばかりに語り出すのを全て聴き止めて、陽子は静かに言った。
「私を信じてくれないか」
しばしの後、男は視線を強くした。毎日毎日堂々めぐりの会話で、男や官吏はうんざりしている。
「信じております。あなたは我らが王。――ただ、なればそれなりの采配をしていただきたいと申しております」
「――――、」
「申し上げれば。采配いただきたい案件は日に日に貯まるばかりで困ります。しかし主上は胎果であらせられる。お読みになることができないことは重々承知しておりますれば。それも無理もないことで」
常に冷静で通る浩瀚が肩を逆立てる。
「いまさら持ち出すことではあるまい、そのような些細なことは」
「―――いや、いい。聞かせてくれ」
「主上」
景麒が主に声を掛ける。男は苦笑して続ける。
「恐れながら、それも些細なことかもしれません。ですがわたしどもが急ぎ寝る間も惜しんでできた書簡はいったいどうなりましょう?このまま主上はわたしたちの気持を筒のなかで冬眠させるおつもりで?」
あまりのいい方に陽子は絶句し、そうして素直に「すまない」と一言零す。 苛立った浩瀚が、険しい相貌で反論するが、男が怯むことはなく、―――どこからともなく笑いを堪える気配すらした。
愚王の元にて成長していた悪官の、切羽詰まった悪あがき。――どうやっても王を無能へ仕向けるために幾つものも罠を張り巡らせている、―――だがそれではいけない。

は、と隣に佇む麒麟が息を呑んだ直後、陽子は立ち上がった。
つたつたと颯爽と歩き進み、粗末な身なりの少年が茶髪の男の前で立ち止まる。
王に近場で凝視された茶髪の男は開眼してたじろいだ。派手な衣服を纏わないせいか、酷く翠玉の瞳が冴えて見え、―――翡翠に取り憑かるかと思うほど―――強い引力―――。

ここにいる者、己の中に達王を見、予王を見、
そうして赤子、陽子を見ることはない。
だが、其れは陽子がなんたるかを知らぬから。 未知の恐怖を陽子は知っている、この世界に放り込まれた盲目と不安と。麒麟と二人、この国を担ぐという途方もない使命の先行きの薄暗さ。未知とは、黒く底の見えぬ沼に、腕を突っ込むような恐怖が、常にある。

だれもが胎果の己に恐れを抱き、未知なる女王に脅えている。

したが、己がここに、天意に遣わされた意味は?
明らかに、無能な己は何のためにここに来たのだ、―――― 私にしかできないことが、あるからだ。 そして私の有り様も、私だけのものだから。



「機会をくれないか」
ぽつりと陽子は零す。
「今のままでいいはずないと思っている。失望されるのも当然だ。信頼を得られないのも頷ける。それにあなたはまだ私のことを知らないから怖いんだろう。………あなたは私をまだ見ていない」
男は思わず目をそらす。確かに落胆の影には常に、達王の姿がある。
陽子は立ち上がり玉座に戻り、豪華な装飾の座、手摺りに手をかける。誰もが王の一挙一動を凝視する、室内は沈黙に研ぎ澄まされ、――――。其れを裂くがごとき凛々しい声。
「わたしは確かに王。それに未熟だ。信じられないなら、それでいい。不甲斐ない王だったと、後々笑ってくれて結構だ。だか知ろうともしないで捨て置くことだけはやめてほしい。――――これからだ、まだ何も始まってもいない」
怖いほどの静寂の中、陽子は毅然とした眼差しで辺りを見渡し、そして己の武人の手を見やる。
「この手に掛けた命の数を忘れたことはない。達王のような才はないのかもしれない。文字も読めない。常識もない。だけど、民を想う気持ちは、誰にも負けはしない。決して民を苦しめたくはない。―――民を斬ったわたしのこの手で、これからひと一人の命が救えるというのならば、わたしは何をも惜しまない。己の身すら、賭けてみせよう」
幼げな貌に微笑が浮かぶ。

「私はそれだけの王だけれど」

陽子は言って玉座に腰を落とし、瞑目した。
精悍さと厳めしさで民を導く王もいる。
矜持や誇りで身を固める王もいる。
陽子はそれらすべてを外し、ただここにあるのは、途方もない実直さだけ。
困惑や動揺の声が挙がる中で茶髪の男はじっと陽子を見つめ、――――その奥にある熱を感じ取る。萎縮しきった官もいた、賛美の声を上げる者、様々で。


「…主上」
景麒が心底驚いた顔で陽子を見たが、陽子は頓着することなく無邪気に微笑んだ。きっと、あなたは王だ、官と視線を交え顔をつきあわせて話すなど…威厳をもっていただかねばと、早速言うつもりだったのだろうが。 だが、言葉は霞めとられるように無く、景麒は何も言わなかった。
いや、その実、言えなかったのだが、――――。

麒麟の主は、官を見渡している故、気づかなかった。
ざわりと場が騒然として、全ての者が眼を見張る。
幼い女王のそばに佇む尊い麒麟が、優美に微笑していたから、――――。

ああ、この王は、間違ってはいまい――――民意の具現である麒麟が、 あのように朗らかだ。 いままでに見たことのないものだ、安寧を感じる、穏やかで暖かい其れに誰もが、魅入る。











2005/5/10
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