始動の音






黄旗が上がる、――雪のように白い肌、光に透く白金髪の麒麟。紫の暗く深い色彩の眼に、其れは、酷く白々しく映った。大した感慨も無く其れを見やって、麒麟は踵を返す。
一度目は、年甲斐もなく喜んだものだったと、―――。 自嘲気味に眉を歪めた。 使命を全うするべき時が来たのだと、足が浮くほど浮かれて、その日は眠れず月夜を明け方まで眺めていた幼い日。 二度目は、憔悴の貌で陰鬱に其れを睨め付けるだけ、――無垢な感情を抱くことなく、―――景麒の眼に、力は残っていない。

「台輔、このままでは更に民は苦しみましょう。お体の御加減がよろしければ一刻も早く」
牀榻の中、半身をおこして佇む麒麟。痛んだ長い鬣が真っ白な衾褥に散らばる様は、この麒麟が人ではない、――神秘的な生き物なのだと、思い知らされ。
色のない瞳が宙を舞う。口数の少ない麒麟だが、ここ数日喋ることも憚られ、口を閉ざし続けた。王に取り残された麒麟に憐情を抱き、声を掛ける官僚にすら激しい猜疑の目を剥いて、―――。
暗澹たる闇から覚醒した時、王気は消え失せ、同時に、腕をもぎ取られたような激烈な苦痛が身を襲った。身が軽くなったように病から生還し、長い間、寝伏せていた牀台から、解放される。後、景麒は荒廃した街を眺める。 王という存在が、此ほどまで取り替えきく唯のヒトだとは、――そして、此ほどまで、弱く脆いヒトだったとは。―――予王が道を外す予感は登極したころから漠然とあった、されど、こんな形の終幕を、誰が予想したか。 碧髪の菫のごとき、弱き儚き王。過酷な六年だった過ぎ去った日々、己は主に何をして差し上げられたのかと、悔やみしか残らない。加護すら満足にならず、彼女の事を何も理解していない。
最後に――彼女が死を選んだ動機が、麒麟のためか、民のためかすら、わからない。 ―――深層は無に消えたのだから。

荒む濁った双瞳に、国の荒野が映り込む。絶望に飲み込まれ足枷の重みを増す。――― 次王はすぐに見つかる、兆しがあるから。そうして主が死んだことを認めるは、容易い。――だが、前に進めない。麒麟であることを誇り、王を無償の敬慕で慕う幼き己は既に居らず。 次なる王を拒絶する、決して敬愛できない。―――それが、王を死に追い込んだ民に対する威嚇であり、己の本性に対する殺傷。―――王を追い込む麒麟と民に、再び王を与えてなるものかと、―――。

脳裏に、新王を欲す官、王を貶めた官が蘇り、気味が悪く、額を押さえた。
此は義務だ。 ――どんなに悔しくとも、それでも―――――王を選ばなければ民は死ぬ。 八方から血を吐く喘ぎが響き、己の麒麟が涙を流す。 拒絶できない麒麟の意志。――そうして旧主が己を残した、その願いを無下にしたくはない。 尊い神獣のみに許された尊い白金の鬣が、景麒の黒の衣に流れうつ。 石台から腰を上げて景麒はゆっくり立ち上がった。


そうして、まみえた新たな陽光に、景麒は落胆することになる。あまりに旧主に酷似して、戸惑う双眸は、書き写したように先王の面差しと重なった。眼前の少女は、またしても景麒の求めた王には非ず。

―――彼女もきっと、近い将来、駄目になる。

既に、理想などという陳腐な幻を持ってはいない、――この危うげな少女を王とすることを、嫌々ながら受託せざる得なかった。蝕で起こった混乱の中で主、――陽子という名の女王を手放したのはわざとではない。己自身も偽王に捕らわれ、身動きとれず、己の無能さに打ちひしがれ、ひたすら卑屈になる。 塙王に追われる陽子を案じるも、痛む角が思惟を錯乱させ、王気が見えない。

―――あの方とは、もう会えまい。

民を、己を辟易させる王ならば、其れで良かったのだ、――麒麟らしからぬ考えすら浮かぶ。 もはや王を慕う、麒麟の性は、抜け落ちて、お前は曖昧な生き物なのだと、嘲る声がする。 己が全てを投げ出した時、国の希望は完全に潰える、―― もう、止めてくれ、呪縛から解放してと、躯全体が叫喚し、逃げ後ずさる。
予王が嫣然と微笑する。拱(こまね)いて、己が自ら彼女の手を取るを待っている。共に堕ちましょう、と。―――混沌する景麒の霞んだ白昼夢の中、舒覚が誘う。全て手放して私の元へ来い。 楽になれるか、許されるかと、病的に白く細い予王の手へと己の指先を伸ばす。麒麟として禁忌的な選択を、―――遂に、永い苦乱の中で、一度として望まなかった己の終を、心底望んだ、その瞬間―――― 。


炎紅の髪が舞う、心臓の根底まで突き刺さるほど鋭く深い翠玉を、――景麒は見た。
「探した、景麒」
幼くも、綺麗な貌に微笑みを浮かべ、優しく目を細めた王を。
求めて止まなかった、理想の景王が、―――そこに、いた。









2005/5/10
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