美女と獣と王子様








「桓堆!今暇か」
健やかな昼下がりに利発な通る声。行きかう官が驚いた顔で赤髪の少年、――いや少女を見やる。まさか主上が外宮においでになるとは!え!?あの少年が主上!?な、なんか想像と違う!!と、混乱しつつもきちりと敬礼をする官僚たち。 神である王が普通に回廊を駆けているのはなんとも奇妙な感覚だ。
部屋を移動中だったとき、呼びかけられた桓堆は力いっぱい苦い顔をして言う。
「多忙で御座います」
見てわからないのかと、手元にある書物を指し示すと景王陽子は軽く瞳を眇める。
「まぁそう言うな。折角景麒と浩瀚を説得できたんだ。これから暁天に降りないか?」

―――やっぱり……

脱力して陽子をねめつけると輝かし笑顔が返ってきた。それを振り払う勢いで、桓堆は陽子を人気の無い回廊へ連れていった。敬うべき王とその臣ではあるがすでに一言で言うと悪友とでもいえようか。親友に近しい仲になりつつある二人の間に遠慮は皆無だが、桓堆の敬語だけは治らなかった。
誰も辺りにいなくなったことを確認して、桓堆は臣の仮面を脱ぐ。
「それは王命ですか?だいいち、なんで毎度毎度、俺がついていかなきゃならないんですか。虎嘯でもいいじゃないですか」
「つれないなー…」
と前髪を掻きあげる仕草は、女官の黄色い声を浴びること間違いない。
「たしかに主上と手合わせしたり里に下りたりするのは刺激的で楽しいですけど、なにかあったらって、気も磨り減るんですよ。そんな頻繁には無理ですって」
うんざりした貌は本当に嫌がっているが、陽子はそれでも食い下がる。
「実は少し相談したいことがある、それも含めて、だめか?」
「内容によりますね。政務のことじゃなさそうですけど」
それだったら、多少質問するのに怖気づくが、為になる怜悧な男、浩瀚に相談しているだろう。顎に手を添えて考え出した将軍の腕を掴み陽子は歩き出す。
「こうしてるうちに日が暮れる。折角の休みをつぶしたくない。いくぞ!」
「はぁ〜…」
将軍は最近懐に常備している胃薬をそっと手で探った。


暁天は日に日に活気に満ちていて、それが陽子の一番の支えとなっていた。変化の見える町並みは王としてはうれしいことだ。禁軍内の噂話や剣術の技巧などを語り合いつつ、なだれ込むように飯屋に入った。
「で、相談というのは?」
あれだけ外出を渋っていたものの、出てきてみれば娯楽を満喫するべく、楽しむ桓堆は、けれども、陽子の言う「相談」というのも忘れないしっかり者だ。
陽子は箸を口元に運びながら、ああ、と目を細めて言う。
「実はな、祥瓊のことなんだが…」
「―――祥瓊がどうかしましたか?」
瞬間、常には無い初めて見る色が黒瞳に過ぎったのを陽子は見逃さなかった。だが、深くは探らない。
「ああ、最近祥瓊の周りにストーカー…いや、いわゆる粘着的な変質者がいるみたいなんだよ」
「なんだって!?」
軽く溜め息をつく陽子に詰め寄る。
祥瓊とは時々話すが、そんな話聞いたことが無い。
「祥瓊がこっちにやってきてから、ただでさえ金波宮の注目株で、姫的存在だろう?」
「たしかに、見た目は綺麗だからな」
「見た目だけじゃない。しっかりしているし、気品は内面からも溢れるものだ。あんな嫁をもらいたいと男ならおもうんじゃないか?」
「―――なんで俺に聞くんですか」
いや、べつに。とお茶をくいっと飲み干して陽子は遠くを見る様に悲しげな顔をした。
「美人すぎるのも大変だ。言い寄る者達をことごとく遮ることも大変なのに、この上変な男に付きまとわれてるんじゃあ、祥瓊は眠れもしない」
「祥瓊はそのことは知って?」
「私と鈴と本人は、変質者の存在くらいはしっているが…」
「なんて?」
「目の前に現れたら、ぶった斬って、千切りにして雲海に流してやるわ、だって。―――その、あの、男性のアレを」
唖然として、桓堆は思わず噴出す。同時に寒気もしたが。
「さすが」
「だが、ここは宮の治安の問題でもある。プライバシーも守れないような人間がいるところで、みんな働きたくないだろう。―――そこで桓堆に祥瓊の部屋をしばらく護衛してもらいたいんだ。頼めるか」
茶器を口元に傾けていた桓堆は思わず全部噴出してしまった。優れた反射神経で上手くかわし、「汚いぞ」と陽子が呆れたよに言うが桓堆はそれどころではない。

―――たしかに、気になってる女を守れることは願ったり適ったりだが。

目の前の王、もとい悪友は、護衛ともいえど男が四六時中好いている女のそばに引っ付いているという事態をどう、解釈しているのか、甚だ疑わしい。
きっとなにも考えていまい。

桓堆は動揺を胸の内にしまいこみ、将軍の貫禄を奮い立たせる。
「―――か、かまいませんが…なんで俺が?」
陽子は、その名の通り太陽のように眩しい笑顔で宣言する。
「おまえが祥瓊のところにいれば、私がお前をつかまえやすい。逃げてないで、たまには剣術の稽古に付き合え」

そういうことか…。

やっぱり何にも考えておられなかった。

「わかりました。お受けします」
「よし、ありがとう。ただ、くれぐれも気をつけて」
途方に暮れた顔をしながらも、どこかでこの勅命を与えてくれた主に感謝している己を自覚して、桓堆は項垂れた。



「桓堆を護衛に!?」
将軍は気まずい思いで祥瓊の部屋に訪れていた。何度かこの部屋に訪ねたことはあっても、部下といっしょだったりして二人きりで部屋に篭るなど初めてだった。
経緯を話した桓堆に、濃い紺青の髪の美少女は驚愕の表情で言う。
「なんでまたあなたなの?」
「主上たっての指名でな。しばらくは隣の部屋にいるから変なやつがいたりしたらすぐにこっちに来い。俺も警戒しておくから」
「…わ、わかったけれど…」
困惑気味にやや頬を染めて顔を伏せる彼女に、桓堆はおや、と思う。
これは脈ありなのだろうか、と。
なにせ、この美少女は金波宮随一の容姿と気品の塊のごとき立ち振る舞い。宮に勤めるようになってから、一気に彼女の評判は隅々まで広がった。
今は、地位も名声もある官からの熱烈な好意をいくつも浴びている。やはり、陽子に感謝したい。こんな女の護衛をすることになったら、抜擢されたその衛兵が、変な気を起こさないとは断言できないからだ。
「しかし随分と惚れられているみたいだが。その変質者に心当たりはないのか?」
「そんなもの、多すぎてわからないわよ」
さらりと云い、祥瓊はお手上げだと首を振る。
「昨日も天官の人から告白されたのよ。物をくれるっていうけど高価すぎて、さすがに気が引けたわ」
「もしかして、…天官ってまさかとは思うがあの仕事一筋の?」
およそ女や恋愛に興味を持つタイプではないあの男すら虜にしてしまったのか。
「意外すぎておどろいたわ。申し訳ないとは思うのだけれど、お断りしたわ」
「まったく、おまえ。金波宮でなんて呼ばれているか知ってるか?」
「いいえ、――なに?変なうわさでもあるの?」
祥瓊は大きな瞳を揺らす。その様はさながら高貴な蒼色の薔薇の花。
「『蒼宮の姫』。―――まぁたしかに、華やかさは絶品だし納得だな」
「なんなのそれ、私はただの女史よ。…まったく、それは、昔はそんなものだったけれど、今は違うわ」
「しかも話が肥大してもっとすごいことになってる。王宮に姫、とくれば王子だろ?その王子は主上のことらしい」
「陽子!?」
祥瓊は顔を引きつらせてかの友人を思う。
すらりとした日に愛された長い手足。切れ長の翡翠の瞳に、小さくも形の良い唇。整った顔立ち、豊かで力強い赤の髪。みる者(女に効果絶大)を捕らえる魅惑の眼差し。
「た、たしかに……人目を引く凛々しさよね」
そこらへんの男など相手にならないほど、美少年だったりする我らが主上。泰然なる言動と低音の声。しかも優しく奇抜で意外性に溢れる、果敢な性格が女心を擽るらしい。
「主上は日に日に漢らしくなられるから、余計にその噂は広まっている」
「それは陽子が身なりをきにせず、男物の衣装しか着ないせいでしょ。最近女を捨てていってるわ。ああ、もうなんてことなの!」
頭を抱えた祥瓊を見る将軍の目に、ふっと笑みがともる。
「今後は王后となって北宮に棲めるとは、大したもんだ」
「もう!冗談じゃない。―――でも、もしそんなうわさが全体に広まっているんだったら、もしかして危険なのって陽子じゃない?」
「?」
「ほら、わたしに執着しているらしい男が、逆上して陽子に…」
「な、ないとも言えないな…」
いくら武術の心得のある主上といえども、一応女性(酷)。金波宮内では使令は最近はつけていないと、陽子自身が言っていたこともあり、二人は緩やかに冷え冷えとした汗が背中を伝うのを感じた。
「いきましょう」
桓堆は、蒼色の瞳を見つめ、頷いた。



夜も更けて、人通りも少なくなり、仕事を終えた官吏がいそいそと帰宅するその中に、未だ書類を片手に、疲れも見せぬ無表情で颯爽と回廊を行く長身がある。
麒麟は王気を辿って、正室へと急いでいた。
常に真面目に取り組んでいる陽子に、こんな時間にまで仕事をさせるのも忍びないが、今日は市街に降った反動もあって、急ぎの書類が済んでいない。御霊を貰うまでは景麒も仁重殿に帰れない。
女官に取り次ぎを貰って入ろうとしたとき、景麒は目を見張る。王気が激しく揺らいだのを感じ、手に持つ書類を投げ出して正室の奥へと急ぐ。

「主上、――!」
景麒が無遠慮に扉を開け放つと、そこには横倒れになった男がいた。何度か顔を合わせた程度の無名の官僚だったか、と記憶を辿るが、今はそれどころではない。
陽子の衣装の腰紐で縛られ転がっている男の側に、陽子のすらりとした立ち姿があり、両手を何度か打ち合わせていた。 蒼白な顔で立ち尽くしている景麒は、何があったのか、どうして我が主の部屋に男がいるのかと苛立ちを抑えきれない。
「――あぁ、まいった」
溜息を零し、陽子は翠玉を細め、男をみる。
「これは天官の、たしか・・・」
「私に襲い掛かってきたな。祥瓊に執拗につきまとい、虜になって、私に逆上したようだ」
意味が分からない、と景麒は柳眉を歪ませる。
「だから、――祥瓊と私が恋仲だと思われているんだ。それで私に悋気を起こしたらしい。私も今知ったんだけれど」
「は??」
「まったく、有り得ないことをよくも思い付くものだ、男の人って変だな」
とその時開け放たれたままだった扉から祥瓊が飛び込んで陽子に抱きついた。
「陽子!」
「主上!やはり思ったとおりだった!」
その後ろから桓堆は、安堵の息をこれ見よがしに吐き出す。陽子は祥瓊の背中を撫でながら、肩越しに将軍に目配せをして、横たわる男を示す。
「すこし締めたら祥瓊に付き纏っていたと自白した。これでとりあえずはおかしな男もいなくなるだろう。桓堆、短い任務だったがごくろうさま」
「主上がやったんですか?使令もつけないで」
「陽子…ありがとう。でもあんまり無茶はしないで」
「そうですよ。あなたは王なんですからね、」
「うん、わかった」
ほのぼのとしていた雰囲気を陽子の背後にいる麒麟が一気にぶちこわした。 背筋も凍るほどの冷徹な容貌で、男を睨め付ける。おまえ仁獣でなかったのか?
「ともかく、何があろうと主上に危害をくわえようとしたのは許せません。いかがいたしますか」
「秋官長を呼んでくれ。あとはまかせる。―――しかし今後こんなことがないようにしなければならない。私も祥瓊も迷惑だし」
「では良い案がございますよ、主上」
また王の私室に勝手に…、と麒麟が溜息を吐くが今はそれどころではないので黙認する。
「浩瀚」
喰えない微笑を浮かべて、浩瀚は陽子の側までやってきた。
「何事も主が最優先と考えますと、とりあえず、この一件から主上を隔離したほうがよろしいのではないでしょうか。祥瓊殿に自重せよと言っても、こればかりはどうしようもないことですし…そこででございます」
浩瀚は祥瓊を空色の双眸でちらりと見て、再び主へと視線を戻した。意に適った言動しかとらないこの有能な冢宰を、陽子は信頼しているから真剣な顔で聞いていた。が。
「祥瓊殿に、身を固めてもらう、というのはいかがでしょうか」
「なんですって!?」
と口を挟んだのは祥瓊ではなく、何故か将軍。
「桓堆?」
「あ、いえ…」
祥瓊は少し控えめに、それでも丁寧に言う。
「ですが、私はそのような相手は、まだ考えておりませんので」
「そうですか。しかしながら、これもすべて主上のため、国のためでございますから。私たち臣は国と王に対する誠意をみせなければなりません。―――桓堆」
「は、はい」
呼ばれて吃驚。そして聞いて吃驚。
「今から祥瓊殿と婚約しろ」
「は!?」
「さすればしばらくすれば、夫婦になったと、祥瓊殿の周りの反応も落ち着くだろうし、差し迫って危険は将軍に降りかかるだけ、――――主上、妙案で御座います」
嫌に説得力のある押しに、陽子はすっかり絆された。
「そ、そうか?しかし、二人が決めることなのでは」
祥瓊はしばらく思案していたが、正直、本当に周りの男たちには迷惑していた。言い寄られるのは不快ではないが、鬱陶しい気持ちが上回った。
(桓堆のことは嫌いじゃないし、それに一時期夫婦になるっていう、所詮建前だけの関係だし…)
と、将軍の内情をさっぱりと無視した祥瓊の結論は
「私はいいわよ、それで騒ぎがおさまるのでしたら」
嫣然な微笑で宣言した。

(な、なななななんだよ!?どういうことだよ!!!?)
脳内大パニックに陥った将軍はしかし不思議な浮遊感にみまわれ、藍色の髪の美少女を見る。祥瓊の目は「とりあえず頷いておきなさいよ」と訴えている。
「…同じくです」
桓堆は答える。
だが、祥瓊のその瞳の色に甘い感情もへったくれも無いことを読みとって、期待しかけていた夢ががらがらと崩れ去り、桓堆は少し項垂れた。だが、何もかも今からである。擬似とはいえ、夫婦となるのだから。

陽子はまたもや太陽光線のごとき、凛々しく華麗な貌で微笑た。
「そうか、……なんだかびっくりしてしまった。でも、結婚おめでとう。お幸せに」


((ちがうって!!!))
絶叫は心の中に沈んでいった。











2005/5/10
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